歴史ある繊維業の一大産地・遠州

 

静岡県西部に位置する“遠州”地方。
ここは、泉州(大阪)、三河(愛知)と並ぶ日本三大綿織物産地の一つとして知られており、その歴史は江戸時代までさかのぼります。
遠州地方は、天竜川の豊かな水と温暖な気候によって、古くから綿花の産地として栄えてきました。江戸時代に入ると、綿花を栽培する農家が自給自足で始めた手機による綿織物が市場に出回るようになり、これが「遠州木綿」として高い評価を得ていきます。
その後、明治19年にはこの地に洋式紡績工場が設立され、明治29年に遠州の豊田佐吉氏(トヨタグループ創業者)によって小幅力織機が発明されたことで、綿織物の生産量は飛躍的に増加しました。こうして、全国有数の産地として遠州の繊維業が確立したのです。

 

職人の街・遠州と、この地で生産される至高の生地
 

東京と大阪のほぼ中央に位置する遠州地方は、その地理的条件と温暖な気候、豊富な水資源などに恵まれ、古くから「ものづくり」が盛んなまちとして成長してきました。

二輪・四輪自動車メーカーの「ホンダ」「スズキ」「ヤマハ」、楽器メーカーの「ヤマハ」「カワイ」「ローランド」。これら名だたる世界的メーカーは、いずれもこの遠州地方が生んだ工業メーカーであり、その発祥の地です。
これらの世界的なメーカーを生んだ遠州という地域は、古くから高い技術を持つ職人が育つ土壌がありました。前述のトヨタ、スズキ等も元は織機メーカーとして発展し、その動力機構を自動車のエンジンへと応用して、現在に至るもの。その高度な技術と職人志向は、現在の繊維業界においても浸透しています。

遠州織物において“糸”から“生地”になるまでの生産工程は高度に分業化し、現在でもすべての工程がこの地域の中にあって昔と変わらない方法で生産されています。そのひとつひとつの工程は、昔ながらの織機(しょっき)と熟練した職人の手によって丁寧に行われるもので、他にはない優しい質感と使うほどに馴染む独特の風合いの生地が生産されます。

高品質化を歩んだ遠州織物・遠州綿
 

近年の繊維業をとりまく環境として、アジアを中心とする安価な海外製品の輸入が急激に増えたことは多くの方が実感されていることだと思います。消費者にとって低価格の衣料製品が手に入りやすくなった一方で、国内の繊維業産地はいずれも大きな打撃を受けました。
そんな中、元々高品質な綿素材作りが根付いていたこの地域では、大量生産で海外製品に対抗する道を選ばず、いっそう付加価値の高い素材の開発を目指しました。目指すべきは価格競争の中の勝利ではない。価格競争に巻き込まれることのない、一層価値のある生地を…。これは昔ながらの織機と、それを操る職人たちの高い技術・信念によって切り開かれていった道です。
こうした結果、素材一つ一つの風合いや完成度はより洗練され、繊維業界における高品質な織物産地としての認知度は一層高まりました。現在では国内のみならず海外でも高い評価を得る「遠州織物」として、その地位を確立したのです。

非効率さが生み出す豊かな風合い“シャトル織機”
 

生地を織るための織機(しょっき)には、「よこ糸を通すためのシャトルがある“シャトル織機”」と「シャトルを使わずエアなどでよこ糸を運ぶ“シャトルレス織機”」があります。
近年の生地生産において使用されている織機のほとんどが、高速で仕上げ生地ができる“シャトルレス織機”。生産される生地は表面が均一的なツルツルとした仕上がりとなるのが特徴です。

一方、 遠州織物で使われる“シャトル織機”は、シャトルレス織機の約6分の1という低速度でしか織ることができない極めて非効率的な機械です。しかし、ゆっくりと時間を掛けて織ることで、表面に凹凸感のあるふっくらとしてあたたか味のある風合いの生地が生まれます。
シャトル織機

ヨーロッパなど海外で高い評価を受ける生地を身近に
 

遠州地方の昔ながらの工場で生産される生地は、現在、ヨーロッパの有名インポートブランドの生地としても使用され、パリコレクションやミラノコレクションといった世界最高峰のファッションショーで披露される衣服の生地として数多く用いられています。
品質には徹底的にこだわり抜く多くの有名ブランドが、世界中を探して行き着く「遠州織物」。しかし、これらの高品質な生地が日本の、そしてこの遠州の地で生産されているということは、製品になってしまうと分からないことがほとんどです。また、誇りに思っていただけるはずのこの遠州に住む人たちにさえ、知られることが少ないのです。
歴史ある産地で、昔ながらの機械によって丁寧に織られるその豊かな生地を、ありのままに使用したシンプルな衣服。これが「HUIS」のコンセプトであり、伝えたい価値です。




シャトル織機とは
 

生地を織る機械は織機(しょっき)と呼ばれ、この織機には「緯糸(よこいと)を通すためのシャトルがある"シャトル織機"」と「シャトルを使わない"シャトルレス織機"」があります。 近年生産されている生地はそのほとんどがシャトルレス織機によるもので、コンピューター制御により風圧や水圧を使って高速で緯糸(よこいと)を運ぶため非常に生産効率が高く、表面が均一でツルツルとした仕上がりとなるのが特徴です。 一方、シャトル織機はシャトルレス織機の10〜20分の1という低速度でしか織ることができず、また工程において職人の手作業を多く必要とする極めて非効率的な織機です。しかし、経糸(たていと)にも緯糸(よこいと)にも負担を掛けないよう、ゆっくりと時間を掛けて丁寧に織ることで、表面に凹凸感のあるふっくらとしてあたたか味のある風合いの生地が生まれます。また、高密度で織ることから耐久性が非常に高く、シャトル織機で織った生地から作られた服は長く愛用できることも特徴です。
この素材感こそが、身体にやさしく馴染み、長く愛着を注ぐことが出来る衣服の源。「HUIS」の服にはすべてシャトル織機で生産された生地を用い、使うほどに馴染む自然な風合いを大切にしています。
(撮影協力:古橋織布)


 

シャトル織機による生地生産の工程

経糸ビームが搬入されると「経通し(へとおし)」の作業がはじまる
 

生地を織るための工程は、経糸がビームに捲かれた後、織機(しょっき)にのせるため、「経通し(へとおし)」という作業が始まります。通常は、一本一本の糸をベテランの職人が2〜3日かけて、手通しで行います。また、以前織った生地を続けて織る場合は、「たね」が残っているため、「タイニングマシン」という機械で結ぶこともあります。

経通しに続く「織りつけ」の作業
 

次に、経通しをした経糸を、織の職人が「織りつけ」の作業を行います。シャトル織機の仕組みは、全てがマニュアルの機械仕掛けのため、ここで細かな部品を職人が全て手作業で調整します。使用する糸の番手や質感に応じて微調整を行い、最も適した状態で生地を織る準備をするのです。

横糸を運ぶためのシャトル
 

設置した経糸の間を何度も往復し、緯糸を通す役割を担うシャトル。画像のようにシャトルの内側に、緯糸を巻いた「木管(もっかん)」をはめ込んで、織機に設置します。織機が稼動すると、シャトルは一端からピッカーと呼ばれる装置で押し出され、反対側のピッカーによって受け止められて、すぐにまた押し出されます。こうして絶え間なく往復することで、緯糸が織られていくのです。1分間に約75回往復するため、シャトル自体も非常に高い耐久性を備えています。

横糸を載せたシャトルが往復することで生地を織り上げていく
 

経糸と緯糸(シャトル)の調整を終えると、ついにシャトル織機が稼動します。糸に負担をかけないよう開口するすき間を、緯糸をのせたシャトルが何度も何度も往復し、緻密でふっくらとした風合いの生地が織りあがっていきます。

順序良く並ぶ「木管(もっかん)」
 

画像中央に設置されている数本の「木管」。シャトルに詰められた「木管」は糸がなくなると自動的に排出され、直ちに代わりの「木管」がセットされて緯糸を通し続けます。一番下に見える「木管」は、次にシャトルに乗り込むために待ち構えているのです。

織りあがった生地に細部まで目を通す「検反」
 

織り上がった生地は「生機(きばた)」と呼ばれ、織り目の状態や汚れなどを確認する「検反」を受けます。生機の中央に設置されたローラーを回転させて生地を流し、熟練した職人が生地の細部まで目を通しチェックを行います。

検反を受けた生機は整理加工を行う工場へ
 

チェックが済んだ生機は、ゆっくりと丁寧に畳まれていきます。一般的には、この後、生地に応じた整理加工を施すため、特定の加工工場へと出荷されていきます。

豊田佐吉の手により遠州の地が発祥となったシャトル織機
 

トヨタグループの創始者である豊田佐吉氏は、遠州地域の湖西市で生まれ、この地で杼換式自動織機(シャトル織機)を発明して日本の繊維業に革命をもたらしました。この自動織機の原理を活かして後に自動車開発が行われ、現在の豊田自動車へと至ります。シャトル織機は、日本の誇る技術力の原点であり、遠州はその発祥の地なのです。
HUIS.  "about.enshuorimono"より